特別気に入っているわけでもないのに、何となく使っていたお皿をようやく処分しました。
何年も前に、義母から「よかったら使って」ともらったもの。
誰かの結婚式の引き出物だったような。
適当なお皿を使って数年。
結構な頻度で使っていたのに、処分しても全く困らないことに驚いています。
「なくても意外と大丈夫」の不思議
もらったお皿を数年間、少なくとも2日に1回程度使っていました。
かなり活用していたのですが、ある日1枚割ってしまいました。
4枚を4人家族で使っていたので、1枚割れて3枚になると使いにくい。
他の皿を足してなんとなく使っていたのですが、残りの3枚の中にも縁が欠けているものを発見。
いい機会なので、思い切って全て処分しました。
すると、他人にもらった特に好きでもないお皿が家からなくなって、心がスッキリ!
これまで、まだ使えるのに捨てるのはもったいなくて捨てれませんでしたが…
こんなに気持ちが明るくなるなら早く捨てておけばよかった、と反省しています。
不思議なことに、その後お皿を買い足していないのに、皿が足りない!という状況にはなぜかなりません。
今まで2日に1回使っていたのは何だったのか??
似たような直径の皿が他にもあるので、家族4人の食事だけなら十分回っているのです。
買い足さなきゃなーと思っていたのに拍子抜け。
ただ、年に1、2回あるかないかの、来客時はさすがに皿が足りなさそう。
あまりにギリギリなのも心許ないので、そのうち買い足すかもしれません。
モノだけではなく、なくても大丈夫な行動も結構ある
これがなくては困ると思っているのに、なくなったらなくなったで何の問題もないという衝撃。
今回はお皿の話でしたが、モノだけじゃなくて日々自分がやっている行動にも当てはまりそうだと思いました。
こうしなきゃ、と思い込んでやっているルーティンは、何かのきっかけがないと改めて考えにくい。
自分の中では当たり前になっているから。
日常の些細なことも、自分の常識を疑って日々見直せば、生活は進化していくはず。
「忙しい」「時間がない」と言っていないで、そういう工夫をしてみよう、という気になりました( ´∀`)
最後に
思い返すと、ここ数年単位でやめたこと、ありました。
夕飯に野菜のおかず2品作ること、です。
今はたいてい、メインと汁物と野菜1品。以上!!
野菜は汁物にたっぷり入れて、野菜不足にならないようにしています。
野菜のおかず1品減らすだけで、夕飯を作った後の疲労感が、すごく軽減されました♪
最近では、換気扇掃除を自分でやらずに外注しました。
自分の考え方次第で、生活はいくらでも変えられるなーと実感しています。
染みついた「当たり前」や「常識」を、まずは疑える柔軟な頭を持ちたいものです。